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●プロフィール

■管理人 
大河ゆい (ハンドルネーム)
沖縄移住を志す人たちの永住実現を望むうちなーんちゅです。

■屋号
「ハッピーライフリカバリー」
※新たな地に根ざそうとする貴方の人生再出発を全力で応援する想いを込めました。


■このサイトであなたに送りたいプレゼント!
◎ 短期間で安心して移住計画を実行に移せる貴重な情報提供。
◎ 就職・起業に有利な自分作りのお手伝い。
◎ 経済的で優良、かつ信頼できるサポートサービスを受けるための賢い知恵。
◎ 貴方と同じ沖縄好きの方々が集まる心強く楽しいコミュニティへの招待。
◎ 沖縄通になるためのコミュニケーションの場提供。

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学生のころや前職時代に,県外の人たちとのたくさんの交流を重ねる中で、生活習慣や価値観のギャップがあることを実感。

沖縄移住支援センター経営者、阿部良明さんとの交流を機会に、移住者との交流をはじめ、関連サイト・ブログ・雑誌・TVその他のメディアから沖縄移住ブームを冷静に見つめる情報集めに没頭。移住の決断で悩む方々のためにそこから割り出した沖縄の真実の姿、先行移住者の実態について情報提供を試みている。


移住者と沖縄人の「共存・共感・協働・共栄」プロジェクトも模索中。 将来の沖縄移住コーチ、沖縄移住メンタルサポーター、沖縄移住コンサルタントを志望し、現在もサイト読者や新たな移住者たちとのオフでの交流を深めている。


さらに詳細なプロフィールを読みたい方は、
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      生い立ち:

◆どんな子だったか

私は内気な子でした。
長男として育ちましたが、
兄弟みな年齢が近かったためか、よ〜くけんかをしました。
でもときどきお互いの悩みを相談したりする仲良しでもありました。

父親はとても厳しい人で、地震・雷・火事・親父の「がんこ親父」そのものでした。


私の生みの母は幼少のころに亡くなり、父の転職や仕事の関係で住宅を引っ越すこともよくあったので地域になじむまでに時間がかかり、友だちもあまりできませんでした。

 
でも母親が亡くなって後の小学生3年生のとき、とある地域に落ち着いたのでそこから小学校・中学校・高校まで通いました。ここで遊び相手もたくさんでき、心を許しあえる友人や同級生たちが増えて親しくなることができました。

私の性格がつくられたのはこの地域に住んでいたときだと言っていいと思います。


◆父と母

やがて、父が再婚し継母である現在の母が我が家に来てくれました。明るくておしゃべり♪ 
冗談が好きで、親しむまでにそんなに時間はかかりませんでした。


母が来てくれたおかげで、私は明るくなりました。


母の後ろ盾で父も自営業に精を出していましたが、作業で人手が足りず、小学生のころから私たち兄弟姉妹が手伝ってました。月に10日以上は働いてましたかね。学校からかえると作業場へ行き子供ながらに手伝いをして家計を支える毎日でした。


父はというと、僕らの仕事の手伝いや勉強のことで怒ると体罰ばかりでしたから、そんな父をなだめて僕たちをかばってくれるのも、いつも母でした。

正義感が強くて融通が利かない頑固者の父。その性格に合わせるのに苦労している母の姿も毎日見ていたので、母には特別な思い入れが今でもあります。


母は、ほんとうには血のつながらない私たち兄弟姉妹のために、30年以上もの長い間、私たち兄弟の心の支えとなってくれました。よくがんばってくれたものだとつくづく思います。


この母はというと、実は認知症です。今は施設に入っているのですが、毎週1回の面会訪問は欠かしたことがありません。


父も母と同じく認知症で、物覚えの悪くなっていることを気にかけてはいるけれど、ある程度自活できるので、自宅で一人で生活し、療養を続けています。


頑固な父も、最近では、子どもである私たち兄弟姉妹が訪れると「迷惑かけてすまないな」と、いつも声をかけてくれます。


◆私の性格

毎日短気な父の罵声や怒号におびえていた小学生時代でしたが、母には
「硬い石になると打たれれば傷つき、形も欠けてしまう。」
「豆腐のようになれ。人がどんなことを言ってきてもスカスカ受け止めろ。」
「ニコニコして気にしないことだ。父さんの言うことは正しいんだ。しっかり受け止めなさい。」

といって慰められた記憶が今でも残っています。

学校では、他地域からの転校生であったからか、同級生によくいじめられました。ですが6年生のころに勉強で成績がよくなり始め、お楽しみ会で一発芸をしたら大うけ。次第に友人たちも増えていきました。


絵が好きでコンクールなどにはよく入賞しました。


母のすすめでボランティアの少年団に入団。もともと恥ずかしがりやでしたが、さまざまな年齢の仲間と交流して次第に人慣れするようになっていきました。(ちょっとずうずうしくなってたかも)
 

中学になるころから、次第に自分に自信を持つようになりました。教科では国語と美術、そして技術科が得意でした。


それに映画が好きで父に頼み込んでよくテレビで放映する番組を見せてもらってました。


また、学校生活では弟のアドバイス?のおかげで、人を喜ばせるのがさらに好きになり、友人たちを笑わせたり、ずっこけ(死語???)て意図しない笑いを取ったりで楽しい時期を過ごしました。


中学3年のころから、母の影響もあって、他人の考えや行動や意見を敏感にとらえる子になりました。人とぶつかることをできるだけ避けて、相手の良いところを見ようとする姿勢もこのときからだんだん備わり始めていたと思います。


明るく振舞うようになると友人も増え、女生徒からも声をかけてもらえるようになりました。3枚目で通っていて女生徒も近づきやすかったのか、意識しないで私に話しかけてくるのでだんだん私のほうも女生徒に気を使わなくなりました。

その反面コンプレックスが強く、常に自分自身にノルマを課して無理にでも成果を上げようとするのが習慣になっていました。高校3年生になるころには、ほぼ今の自分ができあがっていたと思います。


翌年の大学受験には失敗しました。しかし、あきらめることなく、とりあえずアルバイトしながら浪人生活を送りました。

しかしその翌年も受験は失敗。父に懇願して19歳のころ公務員として就職し、通信制の大学に通いはじめました。

公務員となってからは学業と仕事の両立をしながら充実した時間を日々過ごしました。毎週土曜日・日曜日に職場の友人と飲み屋に通ったり、楽しい青春時代を過ごしました。人と会うことが大好きになっていました。

◆本就職

公務員をしながら職場の先輩たちの励ましを受けて単位取得のためレポート作成を続けました。大学ではスクーリングに参加し、支部の役員を務め、夏場には学内寮の世話人を受け持って、同じ学生たちの生活指導の役割を受け持ちました。


職場ではときどき若さゆえの身勝手さもあったためか、先輩たちにはよく叱られました。

でも、そんな粗暴ではあったけれど温かい先輩たちの叱咤激励のおかげで、義務と責任の重大さ・働くことの尊さを学ぶことができたと今では思います。


やがておよそ必要な単位を収めたので、満5年後、この職場を円満に退職しました。通信制の大学で学んだことを生かして再就職を図ったのです。


父母の元へ戻り再就職の活動を開始、就職試験の猛勉強がスタートしました。しかしこの再就職のための採用試験の勉強には、たいへん苦労しました。


1回目のトライは、アルバイトと趣味に興じながらの受験勉強だったので見事不合格。


父は、

「2度も浪人するのは許さん」

と言って、試験に合格できなかった私は、家から追い出されちゃいました。


1つの弁当で昼食と夕食をかねる毎日が続きました。(うそみたいなホントの話。)


母が親戚のつてで空き家に私を住まわせる手配をしてくれました。そこには風呂場がありませんでした。


嫁いでいた姉が、追い出された私を見かねて自宅の風呂場を提供してくれました。


一度は追い出された身 (笑)でしたが、プライドも何もなくなっていた私は父に会いたくてアドバイスを受けに実家に足を運ぶことがよくありました。


私が訪れると、無愛想でしたが父は照れくさそうに私を迎えてくれました。父は、私の悩みや考えを静かに聞いて受け止めてくれました。


みんなの支えがある中覚悟を決め、背水の陣で受験勉強に突入しました。

目から血が出るくらい、机に向かいましたかね・・・・(はれて「ふぐ」みたいな顔になった)。学生時代にはなかったパワーでした(^^;)


そして・・・・・・

や〜〜〜〜〜〜っと 試験に合格することができました。


あの日からもう18年たちましたが合格通知が届いて飛び上がって喜んだ思い出が今も強く心に残っています。

◆就職して

現在の職場に落ち着いてからは、好きな道を選んだ(つもりだった)ので仕事にも力が入り、生活にも張りが出ました。本就職して自信がついたので職場以外のコミュニティにもたくさん参加するようになりました。

同級生の会
高校の部活動OB会
専門分野の研究会
趣味の同好会・・・・・

色々なところに顔を出すようになったので忙しくて余裕がなくなっていました。


やがて手に余る役目や仕事を引き受け、他人にも喜ばれるようにはなっていたものの、自分の能力の限界を感じ始めるようになりました。


そうやってストレスを抱えるようになると心を満たすものが欲しくなっていきました。


1〜2年たつと結婚も視野に入れるようになり、職場の女性にも、いいところ見せようとやっきになってました。


そうこうして有頂天になっているうちに3年ほどたち、いよいよ本気の恋愛を経験することとなりました。


僕は、相手の前で自分の良いところばかり見せようとしていました。あせって結婚を申し込んだらあえなく肘鉄!落ち込みました。 (涙)


このときに頭をもたげてきたのは、「本当に豆腐でよかったのだろうか」ということでした。


相手(彼女)に合わせ、すべてを受け入れ、思ったことや感じたこと、不満に思ったことを呑み込んで相手に配慮して言葉を選びながら話す。そして思いやりを持って接している・・・・つもりでした。

自分のこの考え方が間違っているとはまったく思えませんでしたから、長年のこの思い込みから抜け出すのには、そうとう時間がかかりました。

◆本音を言いまくるということ

その後私は変わりました。というより変わらざるを得なかった。自分に正直に生きようと考えました。立ち直ってからしばらくして、ある女性と出会うことができ以前と違って本音でアタック。

この女性こそ今の妻なのです。

私のよき理解者であり「再考の」、あ〜〜〜〜っとちがった、!最高!のアドバイザーです。

◆結婚生活と子育てと

数年後、長女が生まれ、続いて息子が生まれました。そんな中、息子にアトピーの症状が激しく出始め、夫婦で呆然とした日々を送りました。


幸いに、妻の献身的な努力と、妻の実家義父母の助けもあり、心の平静を保ちながら、この子の治療と食事療法にとことん取り組んで、次第に、息子の症状もおさまるようになってきました。

現在、この子も小学校2年生となり、学級でもひょうきんで通る子になっています。


しか〜し・・・・・・・・・・・・・・・・このころの私は、父親として子どもに関る時間があまりありませんでした。


自分の仕事の成功や名誉・ステータスを追いかけて、

息子のこと
娘のこと
妻のこと

は二の次(場合によっては三の次?)にする熱血 仕事オンリー人間でした。


さらに、実家の父母のことはというと、これもまた、まったくのほったらかし。離れていたので、訪れるのがめんどうになってしまい、全く疎遠になっていました。


実は表面では父に従順な私でしたが、父とは昔から性格や考え方が合わず、関わることにも窮屈さを感じていたからです。


しかし「これじゃいかんよなあ」と、自分自身をとがめる心の声に逆らえず、たまに義務感で実家に訪れてまたまた父とけんか。

腹を立てながら落ち込んで息子と娘、妻のいる自宅に帰るばかりの毎日でした。


父母とのことで苛立ちがある私は、娘や息子にそして妻に八つ当たり。なんでもないことで腹を立てて、やがて職場での人間関係にも影響が出て悩むようになっていきました。


そんな中にあって、妻との間で父母のことに関して夫婦喧嘩も激しくなっていきました。離婚話も何度あったことか。


喧嘩しながらもお互いの思いや考えを押し付けようと意見をぶつけ合い感情的になることもしばしば。


ただ、やはり夫婦ですから、うまくやっていきたい。だから相手のことをお互いに理解しようと努めていました。努めてはいましたが、私の心の中に妻の考えに反発する自分がいました


強情できかん気の強い私。
信念を曲げない妻。


それでも妻はあきらめずに、父母との関係を解決するように説得し続けてくれました。妻方の父母(義父母)も、ことあるごとに酒を交わしながら実父との仲を取り戻すように諭してくれました。


そして・・・やっと最近、実父と和解できたのです。


紆余曲折、いろいろありましたが、妻と義父母の絶え間ない励ましがあって、どうにかこうにか大きな山場を越えることができ、今では日々協力しあって平凡ながら楽しい生活を送っています。


◆支えてくれた人々

振り返ると私の人生はまだ中間地点でしかありません。現在も進行中ですし、「発展途上」だといってもいいでしょう。

しかし、思うことは、そんな私が踏ん張れてこれたのは、支えてくれる人々がいた、ということです。

生みの母がなくなったときに励ましてくれた
 ・祖母
 ・実母方の叔母Mおばさん
 ・親戚のミー子姉さん。
 ・父と再婚してくれた育ての親である 義母。
 ・私の独立を励ましてくれた 姉
 ・悩みの聞き役になってくれている 妹
 ・実母方の義叔母 Kおばさん
 ・妻方の父母(義父母)
 ・気弱な僕を気丈に励ましてくれる 妻
 ・実母方のおじとおば


この人たちの支えがなければ今の私はいなかった。そう思えてしかたありません。

◆最後に

今、目標があります。夢への足がかりです。


沖縄に愛着を持っているあなたやその他の人々と共に自分自身の生き方を確立すること。自分の子どもたちの成長に、直接関わる時間を作ること。心の充実のため、より多くの方々とかかわりを持っていくということ。


つまり、今ある状態からの成長です。


サイト訪問の機会にあなたと出会えたことに感謝しています。深いご縁を感じます。ほんとうにありがとうございます。


このサイトでは、人とのかかわりの中にありつつも自立する生き方のすすめ、それにライフスタイル探求と沖縄移住のテーマを提供させていただきましたが、


どんなテーマで、
何に取り組み、
何にこだわったとしても

貪欲に情報を求め、吸収して学び続けながら、
自らのモチベーションを高め、
またセルフイメージを高めることが大切だなってことを、発信していきたいです。

自分のセルフイメージが変われば
考え方が変わる。

自分の考え方が変われば、
行動が変わる。

行動が変われば
環境が変わって

自分を取り巻くすべての事柄に対して感じ方が変わり、
自分の目標が達成できた上で成功を実感し、
自分の幸せを実感できるんだ・・・・・


移住の夢がかなうかどうか、決心が固まるかどうかも、きっとそこにかかっているのではないでしょうか。
 


そんなメッセージを伝えることができれば私の本望です。自立すること、故郷を離れること、移住を考えているあなたの前に立ちはだかる壁を乗り越えるために、心の準備を整えてもらえれば幸いです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


最後まで
私個人のプロフィールに関心を持って読んで頂き、本当にありがとうございました!


2005年 12月2日(金)

管理発行人 HN 大河ゆい

        mail 
okijyu@yuits.com

過去の話ですが、メルマガが新聞で紹介されました。

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