●沖縄の結婚披露宴
沖縄の結婚披露宴
沖縄の結婚披露宴のかたちの移り変わりをばお話してみたい。
かつてその昔は、仏前結婚というものもわりとあったようですが、僕らの世代ではそんなに見ることがありませんでした。
僕ら同級生の中で一番早い時期に結婚した仲間がいました。高校卒業とともにすぐ、ということになりますが1980年ごろになりますかねえ・・・・。ちょっとうろおぼえです。
彼は沖縄県内に就職したわけではなかったので、他府県で知り合った彼女と地元に帰郷しての披露宴でした。
当時の沖縄の結婚披露宴はというと、地元の公民館で会議テーブルをずらっと人数分並べ、公民館備え付けの機器、ステージ、スポットライトなどの照明を利用しての手作り感いっぱいの披露宴でした。
式進行、あらゆる係りを同級生の仲間全員が手分けして行うというもので、披露宴の前日まで皆で仕事帰りの夜に集まって、夜遅くまで話し合いをしたり披露宴の出し物練習をしたりするのが常でした。
ぼくらの地域の同期生会は男女総勢100人近くの人数でしたから、スポットライト係・進行係・接待係・披露宴出し物演技・その他で手分けするのもその人数ですから、なんなくこなせました。
友人たちが一人、また一人と相手を見つけ結婚していくたびに披露宴準備や打ち合わせで集まるので、ますます同期生皆が学生時代以上に親しくなっていく雰囲気がありました。
宴会の場で振舞われるごちそうは、那覇市にある弁当屋の老舗「鶴丸弁当」でつくられた折り箱弁当。弁当とはいっても分量はすごい。例えて言うと「幕の内弁当」というところでしょうか。
飲み物はバヤリースの清涼飲料・コーラ・そしてオリオンビールと「泡盛」。
式の開始時間は夕方6時半が定刻でしたが、招待された人々が完全に集まるのは7時半。(はい、これ沖縄タイムでございます。)
なかなか定刻に招待客皆が集まらないのを知ってる(慣習として暗黙の了解済みな)ので、早めにきた男性陣は傍らにあるオープンでビールのふたをあけ、「まあまあいっぱい」とばかり隣に座ったもの同士飲み進める光景があたりまえでした。
大体招待客がそろったのを(席が埋まったのを)見計らって、進行が司会へ合図。披露宴が始まる。これが披露宴の始まり方でした。
あきれちゃいます?
でもこれが普通でした〜。ほんと。まじでです。
最近の沖縄の結婚披露宴
僕は30代での結婚でしたので、同期生たちの結婚の時期とは15年くらいの開きがあり、そのころまでに沖縄の結婚披露宴の様相も変わっていきました。
そのきっかけはやはり本土復帰。(昭和47年)
本土のホテルが進出してブライダルプランを流行らせたこともあって、沖縄の結婚披露宴も変化していきました。
ただですね・・・・・披露宴が公民館からホテルに変わっても、ここ沖縄で変わらないものがありました。
28番目までの宴会プログラム。(新郎新婦双方からの親戚・職場・友人の挨拶と余興の数々。新郎新婦が親戚を含め親や兄弟の友人たち、近所の床屋さんや知り合いまで呼ぶので、余興参加の申し出も多くなっちゃうのです。)
300人規模の招待客。(スター並み)
沖縄タイム(笑)。
披露宴開始前にビールを勝手に開けて飲むおじさんたち。
でも、年数がたつにつれ、次第にそのようなおおらかさ(いい加減差ではない・・・と僕は思う・・・・んだけど自己弁護かなこれは?!)が見られなくなってきました。
最近2回ほど職場の仲間の結婚披露宴に参加しましたが、
プログラムは17番から18番。
媒酌人はなし。
式が始まる前に飲む方はまだちょっといる(笑)。
だんだん、昔のような雰囲気は薄れつつあるようです。スマートになったし。シンプルになった。これがいいことなのかよくないことなのか結論出すことはできませんが、沖縄のスタイルが変化することが沖縄の人間関係の厚みや温かさの変化にリンクしていかないことに希望を託していきたいです。
以上。披露宴レポートでした。
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