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●いかれた飛行機が飛んでいる

危機感をあおるつもりで書いているわけではないのですが、これも沖縄
の現状です。


聞いてくださいね。


沖縄の米軍基地で飛んでいるあの軍用機たち。

イラク戦争やアフガニスタンの戦争によって過酷に使用されるように
なって、機体の整備が間に合っていない現状があるようです。
(8月31日沖縄タイムス朝刊より)


日本では、民間航空機について、例えば 「日○航空」社が槍玉に
挙げられた経緯がありますよね。


あの400名以上もの犠牲者を出した墜落事故は、私が学生時代にニュース
で知らされた記憶がありますが、衝撃で夜も眠れなかったのを記憶して
ます。

民間航空ですと、わたしたちににとって卑近な存在ですから、


事故に対して国民の関心も高いし、神経質になって航空会社の対応や
会社の管理体制、幹部の責任、パイロットの責任など論じられること
も多いのですが、


空軍の存在する米軍基地の事故のことについては、基地のある自治体
市町村の関心ごとでしかない傾向が見られます。


このことについてあなたは何を思い、何を感じるのでしょう。あなた
は基地被害に思いを寄せた経験がおありですか??


マスメディアのおかげで、沖縄の基地被害について知らない人はいな
いでしょう。


でも、その被害の甚大さや深刻さを身をもって実感している人はわず
かでしかありません。


言葉でよく、

「沖縄は大変ですね〜、ホント、国はどうにかしてくれませんかねえ」


なんて 同情してくれる他府県の人々のインタビュー報道を見たりしま
すが、


一部沖縄人の本音として


「経済発展と安全確保のハザマで、沖縄のジレンマや苦悩があるという
現実を本当に理解してくれてるの?」


なんて反発に似たような気持ちを持っていることは否定できません。

米軍はここ4〜5年で戦争を2つほど起こしました。

戦争を起こした理由や、その可否について論じるつもりはありませんが
・・・・


その中で、戦争のための機材・軍用車両は沖縄から船で搬送され利用さ
れたりしている事実はご存知でしょう。航空機も嘉手納から戦地に向け
て発進しています。

さてその戦争が一段落して機材・航空機は沖縄に帰ってきます。


飛行機は使い古されて傷んでもどってくることになります。

宜野湾に米軍の基地があります。周りが全部民間の家屋の密集地。


あの上空にも戦争で使用されて古くなってる・消耗されている機体が飛
んでるということを想像したとき、あなたは、沖縄に移住したいという
気持ちになれますか?


ここではじめて沖縄の問題は沖縄だけの問題ではなくなります。


日本人みんなの問題であるということを意識していただけたら、ありが
たいなと思うのです。


でも逆に言えば、私たち沖縄県民も、日本という国家の問題を自分たち
の問題として考えることを常としなければならないでしょう。


同じ日本人として互いの力をあわせて基地の問題をクリアできる日がく
るといいですね。


そんな意味では、


この危険性を承知しつつ、その痛みを共に実感したうえで沖縄移住する
方々がもっと増えてくれればと強く願うばかりです。

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●沖縄と 9.11と

以前、愛知の知人が仕事で来県したときに、県内を観光案内したことがありました。


その彼が空港で会うなり 開口一番で私に言った言葉が

「まず、糸満の平和祈念資料館に連れて行ってくれないか」・・・・でした。


9.11のあった年。沖縄観光が大打撃をこうむった時期でしたが、この彼の言葉を聞いて、胸が熱くなりました。


そんな時期に沖縄へ飛行機で出向いてくれた彼に頭が下がりました。


沖縄の話題で「平和」とか「米軍基地」とか「安保」とかって内容になってくると、とたんに「煙たそうな」「眠そうな」目に変わってしまう本土の人たちを見ることがありました。


「そんな〜難しい話スンナよな〜っ、もう昔の話だろ〜っ」というような表情で。


そんな悔しい思いをしたことが根にあったので、彼のその言葉は私の心に深く刻まれました。


パラダイス・ハワイ・楽園 そんなイメージでしか沖縄をイメージできないときには沖縄移住を見合わせる勇気が必要に思います。

きつい言葉かもしれませんが、復帰運動たけなわの70年代少年期を生きた私にとっては染み付いてしまった切実な感情です。


私のサイト沖縄移住★島専科に、かつて中傷メールが来ました。

送信してきたのは 「心無い」ヤマトンチュでした。その内容にほとほとがっかりさせられました。

つまるところその彼が中傷メールを送ってきたことの真意は、


「本土復帰のおかげで経済的に豊かになったのだぞ。沖縄は感謝しろ!」 

ということでした。


あなたはどう思うのでしょうか。


今の時代に、沖縄人はまず日本に感謝することこそ先立つものなのですかね・・?

まあ、本土復帰に全く感謝しないわけでは無いですが。

捨石作戦により本土上陸の時間稼ぎで犠牲を払った県であるという事実に、本土の方々がどう向き合おうとしているのかには興味があります。


こんな話題では、私は自分に全くウソがつけません。


誰にも譲れない感情であり決して抑えることができないものなのです。


理性的になれとか
もっと客観的になれと言われても、この気持ちは変わってません。


これも、沖縄の現実であると、あなたは受け止めて下さいますか。


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●戦跡★海軍壕公園

戦跡〜海軍壕公園

戦跡〜海軍壕公園

豊見城市と那覇市の小高い丘の上、その境に、旧日本軍が地中を掘って建設した海軍壕があります。以前は小高い丘の上、林の中にひっそりと公開されていた戦跡でしたが、ここ数年の間に整備が進み、きれいな公園で周りを囲まれた観光地になってしまいました。

戦跡が海軍壕公園になったということの意味をときどき考えてしまいます。


戦跡の海軍壕公園


案内板を見てもわかるように、広々とした敷地には観光用のバスも十数台駐車できるような広々とした駐車場が完備されて、観光客、見学客の受け入れ態勢も万全です。

海軍壕公園

ジャンボ滑り台など、子どもたちの遊具がそろった公園付近から、海軍壕のエントランス付近をのぞむ写真です。


自分の子どもたちには、この場所の過去について話したことがありません。(妻は話しているかも。)


まだ幼くて小さいから・・・という理由が通るのかどうかはわかりませんが、成長して戦争の意味そして、沖縄の経験した歴史上の一大事について学校で学ぶときには解説してあげたいとは思っていますが、口は重たいというのが本音ですね・・・・。


ぼくはここ海軍壕公園へ初めて来たのは30歳ころになってからでした。成人してでさえ昔のことには無関心だったというのが本当のところです。


中に入るとやはり息苦しさを感じました。こんな狭いところで人が寝泊りしていたのかとは思えないほど窮屈でじめじめして、居心地の悪いところでした。


そんな壕の中とは裏腹に、周辺は遠くに海をのぞみきれいな景色が広がっています。夕方になると夕陽が落ちていく場面もながめることができます。


近場で子どもたちのはしゃぐ声がします。サッカーをしている高校生たちの姿も、休みの日にはよく見られます。


団地もあって人々がのどかに行き交います。


60年以上も前のことが嘘のような、平和で静かな風景がこの丘の上から見下ろせるのです。


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●沖縄戦と沖縄の戦争

沖縄戦?沖縄の戦争

沖縄戦と沖縄の戦争って題名にしましたけど、あの激しかった60年前の沖縄戦のことを書きたいと思っているわけではありません。


沖縄の戦争については資料をかき集めればいくらでも調べられます。太平洋戦争の事を調べていくうちに、そこで必ず触れられているのは、米軍による沖縄上陸作戦のことです。


沖縄の戦争。実はまだ続いてます。


太平洋戦争は終結しましたが、今でもこの基地と隣りあわせで生活していかなくてはならないという、県民の試練がまだ続いているということです。沖縄の戦い、つまり沖縄戦、=沖縄の戦争なんです。

沖縄戦と沖縄の戦争

これ、那覇軍港です。


空港から出て那覇の中心地に向かう途中、左手に見えています。毎日ではありませんが、数週間にに1回ぐらいの割合で通りがかりでひょいと目をやると、この先に大きな輸送船が停泊している様子をうかがうことができいます。

この日は船は不在でした。

埠頭には、ある程度船で輸送した軍の特殊車両などが置けるように広々としたスペースがあります。フェンス越しに見えるのはそのスペースにずらっと並べられた装甲車両のようです。


近場には自由貿易地域があり、開放されていてレストランなども数件あります。


ぼくが小学生の頃はベトナム戦争最中でした。そのころ、この港にはものすご〜〜〜くおびただしい量の装甲車が端から端まで所狭しと並べられていました。


子ども心のぼくは、単純で無知でした。車を見てかっこいいなあ〜とか、すごいなとか感動してました。


この車が送られる先で何万人もの人々が、あの過去の沖縄戦と同じように命を失ったり、「心」を踏みにじられて人間としての尊厳を見失うような出来事が起こっていようとは思いもしませんでした。

いつまでこんな風景を見ないといけないのだろう。沖縄の戦争はまだ続くの?どうなる沖縄?


沖縄の私たちと一緒に考えていただけますか・・・・・・。

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●米軍基地

沖縄の米軍基地

沖縄は、太平洋戦争後の約30年間、米軍統治下におかれてきた歴史があるので、基地反対派が少なくありませんでした。

沖縄県政も、戦後は屋良知事を筆頭に革新県政が長く続き、時折経済発展の諸問題のあおりで保守政権が交互で前面に出てきたことがあったものの、それらを地盤とする主義や思想によって大きくぶれてしまうことはあまりありませんでした。

   沖縄の米軍基地
     ”これは現在の那覇基地(331号線沿い)。復帰以前は米軍基地だった。”


特に太田知事以降、その革新の色は濃く出て、平和の礎の建設、沖縄の伝統文化を発展保護する施策を最優先する流れが顕著になっていきましたが、折も折でバブル崩壊。経済不況にさらされて保守的な流れに追い風が吹いて、現在の状態(稲嶺県政)にいたることとなります。

アメリカで起こった同時多発テロ以降は、米軍基地問題に対する関心度も低くなりました。声高に反対を唱える主義も影を潜めるような雰囲気になって昔にくらべ今はそんな意思表示をする人々は激減しています。

労働組合組織の運動も沈滞気味です。組合員の減少も影響しているからでしょう。

基地には反対であるとの意見を主張する人々と新しい時代の融和を説く人たち。

どれが正しくどれが間違いがあるか、というステレオタイプな話し方もできない時代になってきたというのが実感です。

ところで今どれくらいの人たちが真剣に基地の全面撤退を望んでいるのでしょうか。

サミット景気は一時的なぬるま湯とも言われていました。その状態につかることで本当の平和は約束されるものなのかどうか(経済効果があったかどうかも一時期疑問視されていましたが最近の動向を見ると少し持ち上がってきた観はありますね)。


基地の反対派はこう言います。

「国際人って何なんだろうか。戦争はしかたのないもので必要悪だと認識することが国際人なのだろうか?」

「基地がなくなるなんて夢物語と片付けてしまうことは簡単でエネルギーも努力も必要がなくてとても楽なこと。」

「世の中を変えていくのにはエネルギーが必要。そのエネルギー源となる活動を拒んでいては変わるものも変わっていかないのではないか。」

「大切なことは、バランスだ。皆が同じ方向に向けばどうなるか。皆が意見を言わなくなれば行き着く先はどこになるのか。これまでの人類の歴史をしっかりと見極めねば。」

日本の国家を見て沖縄を見る。

国民が沖縄を見ながら国政を考えることをやめなければ、ぼくは平和は約されると信じています。

そのためには沖縄にドンドン移住する人々が増えて欲しい。

沖縄を理解する多くの日本人が、平和の本質を掴み取ってくれるなら、これよりありがたいことはないな〜。

いつもそう考えています。

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