●将来への目
高齢化社会に突入して久しいこのごろ。団塊世代が新しい時代を夢み
て活動も活発です。
定年起業
信託投資
趣味同好会
社会貢献と社会参加
住み替え=移住
イメージする将来の自分、未来の家族。
描くあなたの人生の最終章に希望の星は輝いているのでしょうか。
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母が脳挫傷で寝たきりになってからは、介護施設に足を運ぶのは日常
になってしまいましたが、
寝床に横たわる母の姿を見ながら、まだ自宅で療養している認知症の
父に、少しばかりグチを言いたくなる気分に襲われます。
TV放映などで老老介護をレポートした番組が流れるのを目の当たりに
すると、
「父がもっと母の健康を気遣ってあげられなかったのだろうか」
「父が母より重症でなかったのは母が父の犠牲になってたからでは?」
そんな思いが心の中をよぎってしまいます。
でも子としての自分も、父を責めるような資格があるわけではなく、
母の症状の進行をくい止めるため看病したり、かまってあげたりする
機会が少なかったことを、今も悔いてしてしまうことしきりです。
幸いに、兄弟姉妹が数人、ここ沖縄に居残って生活している関係で
身近で親の世話をすることができるようになっていますが、
これがもし子どもたち全て本土に就職して、誰一人沖縄に残らない
状態となっていたらと思うと、なんだかゾッとします。
たぶん子供ら全員、父母に対して罪悪感を引きずるようになっていた
ことだろう、そう思います。
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子どもが老いた親のめんどうを見る。
一昔前では当然のことでしたが、現代ではその親自身が子に世話にな
るのを避けたいと願う話もざら。
しかし、
経済的にゆとりがあり、将来の生活費も保障されている立場ならいざ
しらず、
貧しくて年金も納められず、厳しい生活苦に追われて老年期に達した
人々の場合、老いた後の生活に不安は隠せないでしょう。
介護施設に入所する金もなく、
世話を見てくれる子どもとの関係がぎくしゃくした場合に、どうやっ
て生きていくか、悩みは尽きなくなります。
気づけば老夫婦、どちらか片方の健康状態がぐらつき、つがいのもう
一人がその世話を一手に引き受けることとなります。
老老介護の始まりということになります。
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私はまだ40代の人間ですが、
20代の頃はそんな先のことなんて考えずにそのときその瞬間の幸せ
ばかりに浸っていました。
親の健康なんて特に心配したこともありませんでしたし、親の世話を
看るなんてイメージをはっきり抱くこともしなかった・・・。
一方で当の父母も、長男の私に期待するばかりで他の兄弟姉妹に心遣
いしたり、孫たちに関心をもつでもなかったし、子どもたちとの信頼
関係を築こうともしていなかった・・・。
今では修復できた親子関係ですが、過去を振り返ると一番深い絆で結
ばれているはずの肉親との関係がもろいと、
老いてのちに不本意な現実として苦悩を突きつけられるのだと、父母
を看て思うようになりました。
もし父母にも私にも「将来への目」が養われていたなら、受ける側
にせよ、担う側にせよ、今よりももっとスムーズに介護の生活に入れ
たかもしれません。
人は近視眼的に生きてしまいがちです。
今起こっていること、今さらされている現実を後手後手で生き抜こう
とすることに終始することも少なくありません。
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人がなぜ万物の霊長なのか・・・・
それは時間を超えた見解を思い描くことができるからです。
想像力と言ってもいいでしょうね・・・。
「将来への目」
貯金したり保険に入ったり、妙に健康食にこだわったり・・・
これって、少々かっこ悪いかもしれない。
ダサイかもしれない。
年寄りっぽい、と思うかもしれない。
しかし、
先を見越して、今を生きる人にだけ、確かに約束されたものもある。
挑戦的でワイルドな生き方は「かっこいい」、それもいいでしょう。
冒険好きで破天荒な生き方も、「ダイナミック」かも知れない。
「将来への目」
遠くを見つめる目、まだ見ない現実を想像する力。
老いた日に、かつて若い頃に抱いた「将来への目」が、現実を見る目
に変わったとき、
安堵の息をはけるあなたでいて欲しい・・・。