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2008年04月09日

●将来への目

高齢化社会に突入して久しいこのごろ。団塊世代が新しい時代を夢み
て活動も活発です。


定年起業
信託投資
趣味同好会
社会貢献と社会参加
住み替え=移住


イメージする将来の自分、未来の家族。


描くあなたの人生の最終章に希望の星は輝いているのでしょうか。


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母が脳挫傷で寝たきりになってからは、介護施設に足を運ぶのは日常
になってしまいましたが、


寝床に横たわる母の姿を見ながら、まだ自宅で療養している認知症の
父に、少しばかりグチを言いたくなる気分に襲われます。


TV放映などで老老介護をレポートした番組が流れるのを目の当たりに
すると、


「父がもっと母の健康を気遣ってあげられなかったのだろうか」
「父が母より重症でなかったのは母が父の犠牲になってたからでは?」


そんな思いが心の中をよぎってしまいます。


でも子としての自分も、父を責めるような資格があるわけではなく、
母の症状の進行をくい止めるため看病したり、かまってあげたりする
機会が少なかったことを、今も悔いてしてしまうことしきりです。


幸いに、兄弟姉妹が数人、ここ沖縄に居残って生活している関係で
身近で親の世話をすることができるようになっていますが、


これがもし子どもたち全て本土に就職して、誰一人沖縄に残らない
状態となっていたらと思うと、なんだかゾッとします。


たぶん子供ら全員、父母に対して罪悪感を引きずるようになっていた
ことだろう、そう思います。

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子どもが老いた親のめんどうを見る。


一昔前では当然のことでしたが、現代ではその親自身が子に世話にな
るのを避けたいと願う話もざら。


しかし、


経済的にゆとりがあり、将来の生活費も保障されている立場ならいざ
しらず、


貧しくて年金も納められず、厳しい生活苦に追われて老年期に達した
人々の場合、老いた後の生活に不安は隠せないでしょう。


介護施設に入所する金もなく、


世話を見てくれる子どもとの関係がぎくしゃくした場合に、どうやっ
て生きていくか、悩みは尽きなくなります。


気づけば老夫婦、どちらか片方の健康状態がぐらつき、つがいのもう
一人がその世話を一手に引き受けることとなります。


老老介護の始まりということになります。

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私はまだ40代の人間ですが、


20代の頃はそんな先のことなんて考えずにそのときその瞬間の幸せ
ばかりに浸っていました。


親の健康なんて特に心配したこともありませんでしたし、親の世話を
看るなんてイメージをはっきり抱くこともしなかった・・・。


一方で当の父母も、長男の私に期待するばかりで他の兄弟姉妹に心遣
いしたり、孫たちに関心をもつでもなかったし、子どもたちとの信頼
関係を築こうともしていなかった・・・。


今では修復できた親子関係ですが、過去を振り返ると一番深い絆で結
ばれているはずの肉親との関係がもろいと、


老いてのちに不本意な現実として苦悩を突きつけられるのだと、父母
を看て思うようになりました。


もし父母にも私にも「将来への目」が養われていたなら、受ける側
にせよ、担う側にせよ、今よりももっとスムーズに介護の生活に入れ
たかもしれません。


人は近視眼的に生きてしまいがちです。


今起こっていること、今さらされている現実を後手後手で生き抜こう
とすることに終始することも少なくありません。


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人がなぜ万物の霊長なのか・・・・


それは時間を超えた見解を思い描くことができるからです。


想像力と言ってもいいでしょうね・・・。


「将来への目」

貯金したり保険に入ったり、妙に健康食にこだわったり・・・


これって、少々かっこ悪いかもしれない。


ダサイかもしれない。


年寄りっぽい、と思うかもしれない。


しかし、


先を見越して、今を生きる人にだけ、確かに約束されたものもある。


挑戦的でワイルドな生き方は「かっこいい」、それもいいでしょう。


冒険好きで破天荒な生き方も、「ダイナミック」かも知れない。


「将来への目」


遠くを見つめる目、まだ見ない現実を想像する力。


老いた日に、かつて若い頃に抱いた「将来への目」が、現実を見る目
に変わったとき、


安堵の息をはけるあなたでいて欲しい・・・。

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