●時代に刻むもの
もうすぐ亡き母の命日を迎えます。
想い出は、
といっても、僕の記憶に残っていることはほとんどありません。
子育て・働きづくめで体をこわし
当時、何度も入退院を繰り返していました。
心の中に浮かんでくるのは、那覇市内の大きな病院へ見舞いで訪れた
ときに見た、ベッドに座る母の後ろ姿です。
共同使用の病室で同室者も6人。
端っこのベットにたたずみながら、母は一人で折り紙をしていました。
もくもくと器用な手つきで折り続けていたのは、
傘、そして
折り鶴。
僕は幼いながら、尊敬のまなざしで「うまいなあ」とじっと見てました。
父や兄弟姉妹といっしょになって会話しながら、感心して見ていました。
母は紙で形ある物を作るのが上手でした。でもそのときどんな表情だっ
たか、何を話していたか覚えてないんです。
実のところ、母の印象が息子でありながらこのようにおぼろげです。
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あれからもう 40年以上になります。
その母が亡くなったあと
父と再婚してくれた継母は、今現在、不意の事故で昏睡状態です。
月に2~3度は面会にいきますが、継母の手のぬくもりを感じながら、
実母の想い出と重ねて、昔得られなかった何かを今に得ようとする私が
今ここにあります。
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生死に直面する母そして家族の世界に 何をか思う・・・・。
そんな瞬間にふと考えるのは、
時間
場所
想い出
生の軌跡
愛する人々の肖像
結局、時代に刻んでいくのは間違いなく「人の歴史」です。
そしてその人が生きた証も後を継ぐ血縁によって形となります。
夢を謳歌する自分自身に、迷いはありませんか。
沖縄移住がこれからあなたの歴史の中に刻まれるときに、親への思い、
子への思いが、素直に書き綴られているでしょうか。
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時代に刻むものは
物珍しさや
偉大さや
勇敢さや
派手さや
突飛さではありません。
家族との何でもない日常や
何でもない自分の生きた実感こそが何よりも価値あるものです。
年がたてばたつほど
年数を経れば経るほど 次第にその大切さに気づいていくのですよね。
ものや名誉で満足できる期間は、ほんのわずかでしかありません・・。
他人に見せつけるための移住ではなく
自分にとって、家族にとって、心地よさと満足とを刻み、永遠で最高
の幸せを感じる移住になりますように。